歩協 歩隲(ホシツ)の息子 蜀の隠れた名将羅憲と戦い大敗する

どうも! 諸葛菜です!

歩闡(ホセン) の記事を書いていたら、歩協だのなんだのが出てきたので、調べてみたら、ちょこちょこ載っていました。というわけで歩協さんです。

父:歩隲 弟:歩闡(ホセン)

演義には登場していません。父の後を継いで戦功をてて、撫軍将軍に昇進。

 

羅憲と戦った男

鐘会・鄧艾が相次い亡くなった後、孫休の命を受け、西蜀へ進撃。巴東の守将の羅憲に大敗。その1年後に死亡しています。

孫休は鐘会が謀反、鄧艾が殺された混乱に乗じて火事場泥棒的根性を出しました。蜀呉同盟を結んでいたのに、攻撃を受けた羅憲は激怒。

蜀軍は2000人(元々5000人いたけど、3000人は閻宇が持ってった(-з-))と言えど、士気は超旺盛。一方、歩協の軍の士気は相当低かったようです。

歩協の死後は息子の歩璣(ホキ)がそのあとを継ぎました。腐った根性で羅憲に挑むとは、愚かな…。歩協も戦功を立ててきたようですから、それなりの将。

彼の率いる大軍を防ぎきった羅憲って本当に名将だよなあ。

羅憲最高!