衛瓘(衛カン) 監軍をおおせつかり、鄧艾・鐘会を殺害

どうも!

諸葛菜です。

今日もダークな武将を紹介するぜ!

鄧艾・鐘会、そして、間接的だけど姜維までもあの世に葬ったミスター小人と言われた監軍衛カン様だ!

49234_20151028103047685

貫禄ありまくり!モブとは違うっ!

英雄たちを葬りよって…許せん!

長生きだぜ! 衛カン(220-291年)

 

蜀漢征伐に加わる!

演義での登場回は第116回。

鐘会・鄧艾がマジで蜀をぶっ潰そうと出陣したときです。

この時夏侯咸や王買、などのモブ武将たちを点呼していたシーンがありました。 そこに監軍衛カンの名前が。 このときはたかがモブ一匹と思い、出番も終了かと思っていました。

蜀討伐戦は順調に進み、諸城の陥落 、閻宇の逃亡、劉禅の降参。

 

蜀漢征伐功労者をも手玉に取るっ!

蜀漢が滅亡し、第一等の功労者鄧艾が成都で大いに威を奮っていました。

鄧艾が蜀を我が物にしようとしているのを疑った司馬昭は衛カンに親書を与え、鄧艾に詔を下した。

その文書は、「中央の意志に従え」とのこと。 鄧艾は「大将はそとにあらば、君命を受けざるところあり」と、言うことを聞きません。

司馬昭は鐘会を司徒に上せ、衛カンを鄧艾・鐘会の目付けとし、二人の謀反を防ぐよう命じられました。

鐘会は鄧艾を貶めるため、司馬昭へは鄧艾が謀反を計画していることをまことしやかに上奏し続けました。

衛カンは、鐘会より、鄧艾父子を召し捕るよう命令を受けました。 これは鄧艾に謀反の意志があれば、まちがいなく衛カンを殺すとみた鐘会らの陰謀。

20080916162735708

左のかしこまっているのが衛カン

人身リトマス試験紙となって、鄧艾の下へ向かうのか・・・衛カン!?

名前は分かりませんが、頭の良い衛カンの部下が、

「これは鐘司徒が、鄧征西に将軍のお命を奪わせ、それによって鄧征西の謀反を明らかにされようとするもの。決してお出向きになりませぬよう」

と引き止めましたが、

「わしに・・・考えがあるっ!」

20080916162756874

衛カンは出立の前に、2,30通の檄文を諸方に発しました。

『詔を奉じて鄧艾を召し捕るが、他の者たちにはお構いなし。早々に帰順するときは前官に応じて取り立てるが、出頭せぬものは三族皆殺しとする』

衛カンは囚人車を準備して成都へはせつけます。

 

鄧艾親子を喰うっ!

鄧艾・鄧忠親子は、その頃大爆睡。

起き抜けに衛カンが、

20080916162756379

寝巻き姿の鄧艾閣下。完全なるオフ!

「詔により鄧艾父子を召し捕りに参った!」

鄧艾は囚人車に押し込められ、中央へ送還。 鄧艾を捕縛した鐘会・姜維は鄧艾軍の将士を丸ごと吸収。 鐘会は皇后から司馬昭討伐するよう密書を受けたとでっちあげ、司馬昭を討つことを宴席で宣言しました。

 

鐘会・姜維をも喰らうっ!

これに驚いた諸将は鐘会への反乱を企てます。 正月18日に、鐘会にとらわれた武将たちを救うべく、討ち入りを計画しました。 この計画は成功し、姜維・鐘会を討ち取りました。

衛カンは興奮した将兵を抑えようとします。

「みな、自分の陣屋に戻って命令を待て!」

しかし、いきり立った将兵姜維とその家族を殺害。 鄧艾の兵士らは鄧艾親子を奪還すべく、その足で鄧艾の囚人車を追跡します。

この由を知った衛カン、早速保身を図ります。

「鄧艾はわしが捕らえたのじゃ。彼を生かしておいては、わしが嬲り殺しになろう」

と、言うところ、田続が名乗り出たので彼に鄧艾殺害を命じました。

演義ではなかなかの活躍をした衛カン。

 

ウィキでは小者臭全開ですね。

ウィキより抜粋。

朝廷は衛瓘の功績を賞したものの、鄧艾を殺害したことは世間の非難を買った。 杜預は人々に向かって言った。「伯玉は死を免れないであろう。身は名士に列し、高い地位と人望を具えながら、良い評判を立てられることがないうえに、正義によって部下を統御することもしない。これは小人(しょうじん、ここでは器量の小さい人間のこと)のくせに君子の皮を被っているためだ。一体どうやってその責務を果たそうというのか」。衛瓘はこの発言を伝え聞くと、車の支度も待ちきれず、駆けつけて陳謝したという。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E3%82%AB%E3%83%B3

 

三国時代終了後の衛カンの生き様

中国サイトを見たら、エピソードがありました。

三国の時代が終わり、司馬炎が太子をなかなか立てようとしない。 多くの大臣たちは武帝に太子を立てるよう勧めたかったが、だれもこれを口に出来ないでいた。ある日、武帝司馬炎が主宰した宴席で、衛カンは酒に酔った振りをして、武帝玉座の前へ行き、その座を撫で回し「この玉座もったいのうございます…」と言った。

武帝はすぐに彼の言った意味を理解したが、分からない振りをして、「お前は何を言っている!きっと飲みすぎたんだろう」といって、侍中たちに言いつけて彼を家に送らせました。

私は晋時代をほとんど知らないので、このエピソードを見たとき、あまり意味が分かりませんでした。

早く跡継ぎを決めないと、国が乱れてしまうことを伝えたかったのでしょうか。でも、衛カンは二代目の恵帝司馬衷は皇帝にふさわしくないと思っていたようですし。

どなたかご存知の方、教えてつかあさい(汗)。

結局、記事にしたものの、晋の背景がわからないので読者に丸投げという中途半端な〆になってしまいました(汗)。 追記; お世話になっているムスカさんの記事に司馬炎の話が載っています。どうぞ~ http://ameblo.jp/rekishi-yawa/entry-11105604806.html