全尚 全紀親子 孫亮の側近 うっかりじゃすまねえぞ!孫チン暗殺計画漏れる
どうも! 諸葛菜です!
[caption id="attachment_708" align="aligncenter" width="600"] 著作者:Tambako the Jaguar[/caption]
歴史を変えた東呉の危機感ゼロのうっかり野郎全尚。そして、死亡フラグの代名詞国舅全紀様だ!
全尚(生年不詳- 258年)
妻は当時大権を握っていた孫チンの姉。家に帰っても休めない家庭ですなあ。 全紀は全尚の息子。全尚の娘が孫亮の妻です。
このときの位は黄門侍郎。まさか、孫亮の蜂蜜入りのつぼにねずみの糞を入れたのはこやつか(笑)?孫チンの横暴に腹を据えかねていた孫亮が、そばに控えていた全紀に、孫チンの愚痴をこぼします。
全紀、
「臣にてお役に立つことがござりますれば、万死すともいといませぬ!」
全紀は、孫亮から禁中の兵を起こし、絶対に全紀の母(孫チンの姉)には言わないよう指示されました。
「しからば詔をいただきとう存じまする。事をあげるにあたって臣が詔を示せば、孫チンの配下の者どもとて邪魔立ていたしはすまいと存じまする」
詔、密詔。暗殺計画にこのアイテムが出てくると、必ずばれます。手にしたものは、
捕まる→拷問→死刑
死への螺旋階段です。全紀は早速この由を父親の全尚に伝えてしまいます。危機感ゼロの全尚はこれをそのまま妻にしゃべってしまった。 「三日のうちに、孫チンを殺すぞ」
えー!? そんなストレートに言わないで、もっとこう・・・ほのめかす程度にするとか、ちったあ孫亮と全紀にも気を使うべきでした。それとも、羅貫中先生はきちんと書きたかったんだろうけど、編集部から打ち切りの要請がしきりにあったため、駆け足になってしまったのでしょうか。
いずれにしても、全尚、雑すぎです。
結局、孫チンの兵隊が到着。全尚らが処刑され、孫亮は会稽王に左遷。ウィキに全尚のことが書いてありますけど、殆ど全家全体の話ですね。
諸葛誕救援作戦では、主だった全家の連中が魏に降服。これで全家はほぼ全滅したようです。
全尚の最後はウィキによると、
258年、成長した孫亮は孫チンの専横を憎むようになり、孫チンの謀殺を計画するようになった。この時、全尚は孫魯班や将軍の劉丞らとともに、その暗殺計画に加わった(「三嗣主伝」)。しかし、孫?は事前に計画を知ったため、軍勢を率いて宮城を占拠し劉丞を殺害、全尚の屋敷に夜襲をかけて捕虜とした。6月26日の事であった(「三嗣主伝」)。 密告者は娘の全夫人だったとも(「孫?伝」)、孫チンの姉である全尚の妻だったともいう(「孫チン伝」が引く『江表伝』)。[2]この時、子の全紀が黄門侍郎として孫亮の命令を全尚に伝えたが、全尚がよく考えずに機密を妻に知らせたため計画が失敗した。そのため全夫人とともに孫亮から罵倒され、責任を感じて自害したという(「孫チン伝」が引く『江表伝』)。 孫亮が廃位され会稽王から侯官侯になると、全夫人も共に侯官に配流となった。孫魯班は豫章に流される一方で、全尚の一族は零陵に流罪となったが(「孫チン伝」)、後に全尚らは殺害されたという。
リンク元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%B0%9A
諸説あるんですね。
誰々伝がたくさんあったし、内輪もめがひどかったので、羅御大もさぞ書きづらかったのでしょうな・・・。