留略 留賛の息子 留平の兄 東興の戦いで活躍

どうも!

諸葛菜です!

最近、呉の武将を書いていないなあ…

別に嫌いではないのだけれど、演義では蜀や魏の武将の方が数も多いですし、呉の武将は魏・蜀よりも出落ち感が強いです。魏の前将軍トウ頓のように、一言言って消えるのならともかく、

「諸葛キン、陸遜すでに亡く」

「呂拠、王惇らを次々と殺して」

など、名前だけ出てきたと思ったら死体。という出落ちなので、どうにも手の施しようがありません。そんなわけでなかなか呉の武将が書けぬのです・・・。坂口先生の本を読めば、補完しながら書けるキャラもいるのでピックアップしてみます。

 

さて、今回の武将は呉の留略。

留略(生没年不詳) 兄:留賛 弟:留平

特段落ち度もなく、あまり活躍もしていない。能力値も平均以上のような気がします。

演義では戦勝に貢献・・・。 ですから、モブ扱いも出落ち扱いも出来ず。

では、淡々と留略さんの演義での活躍を追ってみましょう。

登場回は第108回。 孫権死去、孫亮が皇帝に立つ。その隙に乗じて、魏軍が南下。

葛恪が中心となって迎撃の策を立てます。

呂拠・唐咨・留賛。そして、丁奉。それから、ちょっとイマイチ君だけど全端 。

諸葛恪がこの戦に勝てたのは、部下にそこそこいい武将がそろっていたからだなあと感じました。そこそこ良い武将だけでは、大国魏に勝ち続けることは難しいのですが・・・。

留略は東興郡にある左右の二つある出城の右の城に籠もり(左の城は全端)、究境の場所を占め、寄せ手の桓嘉・韓綜をはじめとする魏の大軍を寄せ付けません。丁奉軍が到着。城外の桓嘉・韓綜を蹴散らし勝利!

これにて留略の巻終了・・・。

セリフすらねえ・・・。

後の諸葛誕反乱の際にも、留略は出兵していませんでした。もう死んじゃったのかな・・・?

ウィキを見ると、どうやら「孫峻伝」に付伝されている留賛伝にも「弟の留平とともに部将として活躍した」との記述しかいないとのこと。 ウィキの留略紹介のページなのに、後半はほとんど留平だし・・・。てか、親父・・・もっと息子のこと書いてやってくれい・・・(涙)