胡芳 胡奮の娘 司馬炎に選ばれた美女 武安公主の母親。

どうも! 諸葛菜です。

三国志演義後半のキャラ」

と言い切ってしまっていいのか分かりませんが、先日魏のモブ武将を調べた台湾サイトに、胡奮の娘なる女性キャラが・・・。 三国志演義には影も形も出てきませんでしたし、時代は晋。羅貫中先生も特に取り上げなかったのでしょうな。

[caption id="attachment_1691" align="aligncenter" width="393"] 著作者:Roger M. Ramos[/caption]

とりあえず、訳してみました。

胡奮の娘、胡芳。率直な性格で、言葉を飾らずはっきりと物事を言う女性だった。司馬炎に選ばれ宮中に入り、貴人となり、特別寵愛を受けた。

安定臨徑の人。

273年、ド助平で知られた武帝司馬炎は良家の中から女性を選び、高級に入れていた。自分が気に入った女性に赤い布を任せた。胡奮の唯一の肉親である胡芳が選ばれた後、宮殿に入ってから胡芳は泣き崩れた。

左右の人が慌てて彼女の言葉をさえぎった「陛下のお耳に入りますぞ!」

胡芳は

「死ぬのは怖くありませんのに、どうして陛下を恐れましょうや!?」

と言った。 司馬炎はそこで洛陽に司馬肇を派遣し、胡芳を自分の側室(相当身分の高い)とした。司馬炎は胡芳と会うたび、彼女は言葉を飾らず、率直に受け答えし、所作も上品であった。このとき司馬炎後宮には多くの人がいたが、呉を平定した後は孫コウの宮人数千人が加わったため、後宮には一万人余りとなった。

しかも、司馬炎は同時に多くの女性を寵愛したため、司馬炎は毎晩誰のところへ行っていいのか分からなくなるほどであった。司馬炎は常に羊の引く車に乗っていた。どの女性を抱いてよいか迷った司馬炎は行き先を羊に任せることとし、羊が行き着いた部屋の宮女と夜を共にした。

そこで、胡芳の侍従たちは、笹の葉を門に挿し、塩水を地面にまいて、司馬炎の羊が来るように仕向けた。そのため、胡芳は司馬炎の寵愛を最も受けていて、ほとんどの夜を彼女と過ごしていた。

あるとき、司馬炎と胡芳が「摴蒱」というばくちをしていた。

※摴蒱・・・摴蒱とは、中国古代の賭博遊びの一つ。5色の木片を投げて、色を当てたりして勝負を決める。

一つの木片を争っていたとき、司馬炎は自分の指先を切ってしまった。司馬炎は怒って、

「おまえはやっぱり乱暴『将種』だな!」

胡芳は、

「あたしが乱暴者って・・・あんた(怒)!あんたのご先祖は北に公孫氏を討ち滅ぼし、西は諸葛亮を成敗したのに、あんたが乱暴者でなかったら何なのよ!?」

と言い返した。これを聞いた司馬炎は恥じ入ってしまった。

※『将種』の意味を調べたけど、全然分かりませんでした。罵り言葉のようです。 ここでは仮に乱暴と訳してみます。中国のことだから、本当はもっときつい言葉なんでしょうけど。

ご存知の方いらしたら、教えてください。