留賛 男気に溢れた三国志の老将 クレイジーじいちゃん!

どうも!

諸葛菜です!

一昨日は、ビッグコミックスペリオールの発売日でしたね。コンビニにて、スペリオールを発見。AZUMIを読んだついでに「覇」を読んでやろうと巻末をチェック。ざっと見たら、2巻の面子とは全然違う人たちばかり。そりゃあ、数ヶ月も読んでなかったら、登場人物の多い三国志漫画、分からなくなるのも当然。パッと見、赤壁の戦いのように見受けましたが、顔に刺青を入れた、北斗の拳のクローバーやスペードの部下そっくりのモブキャラばかり。

199X年の核戦争の後でしたら、流行のファッションだったのでしょうが、2~3世紀の時代ではあまりにアヴァンギャルド過ぎます。原作が武論尊だと、どうしてもこうなってしまうんでしょうね。常に巻末で休載も多いらしく、もしも、『作者取材のため、次号からしばらく休みます』などと書かれたら、永遠に帰ってこなさそうで心配です。

[caption id="attachment_670" align="aligncenter" width="500"]著作者:Stanislav Petera 著作者:Stanislav Petera[/caption]

 

さて、今回は留賛。

子:留略、留平

登場回は第108回。

魏が南下したため、諸葛恪と一緒に東興郡防衛に出陣。

(原文) 「(中略)呂拠、唐咨、留賛に騎歩一万ずつさし添えて後に続かせる(略)」

と諸葛恪のセリフに名前が登場したのみ。これにて出番終了。

演義ではまさに出落ち(汗)。

というわけで、ここはウィキを見てみましょう。

若い頃に郡の役人となり、黄巾賊の首領の呉桓を自ら討ち取ったが、負傷して足が不自由になった。激しい気性の持ち主で、兵法書や歴史書を読むことを好んだが、先人達の姿に気持ちが逸り、家族の反対を押し切って足の筋を切ることを決めた。激痛のあまり気絶したが、家族がその間に足を引き伸ばしたため、傷が癒えた後には、びっこは引いても歩けるようになった。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%99%E8%B3%9B

自ら足の筋を切ってしまう心意気がいまいちわからねえ・・・(@ ̄Д ̄@;)。ちょっとした病気じゃあないでしょうか・・・(汗)。

戦の無い、平和な世の中なぞ一切望んでいない性格であることが丸分かりのエピソードです。

現代の平和な国に生まれていたら、間違いなくアフリカの内紛地域に傭兵に行っているであろうこの気性。このことを聞いたキワモノ好きの淩統(リョウトウ)が、留賛を孫権に推薦。

淩統「若~wとんでもねえバカを発見しましたぜえ~!かくがくしかじか・・・」

孫権「うむ・・・ずいぶんクレイジーな奴じゃっ!矢玉避けには丁度良い。すぐに前線に回せい!」

捨て駒として採用されたにもかかわらず、度々戦功を上げました。

得意技は「バトルソング」

ロードス島戦記にでてくる戦の神マイリー神官の戦の歌みたいですね。戦闘力を上昇させ、兵を死地に追いやる、見方によってはレクイエム(鎮魂歌)です。

 

最後の戦場は、毌丘倹の蜂起に便乗した孫峻の無計画な出兵。

魏の武将蒋班に追撃されたとき、すでに留賛は重態。歌うことも出来ず、身内の若者に将軍を示す曲蓋と印綬を与え、剣で脅し無理矢理逃亡させた。自らは敵の追撃で戦死した。73才であった。

ウィキを読んで好きになった武将です。とっても熱い老将でした。

呉には良将が多くいたのに、孫峻・孫チンどもの下衆野郎共が幅を利かせていたのは本当に残念です。