郤正 エピソード とりあえず記事にしました。

どうも! 諸葛菜です。

参考記事:郤正 地味だけど、蜀の忠臣!姜維の愚痴相手はお任せ!

蜀後半の残り少ない良臣

前回、書き忘れていましたが、鄧艾軍が攻めてきた時に、郤正先生が蜀朝廷の会議で発言していましたね。

鄧艾来る。

ということで、蜀の百官どもは互いに顔を見合わせるばかりで一言も無い。郤正が列中より進み出た。

「事ここに至っては、もはや一国の猶予も許されませぬ。武侯の子を召して敵を退ける策をおはかりあるがよろしかろうと存じまする」

くっ・・・郤正先生以外は、百官どもは完全にモブと言うことが判明。この辺の蜀の凋落振りがやるせないぜ・・・。

[caption id="attachment_1852" align="aligncenter" width="333"] 百度郤正より[/caption]

 

 

 

さて、

郤正先生について検索していたら、台湾国語のページがヒット。三国志関連の資料を検索していると、しばしば中国サイトが引っかかります。そこに、知らないことが書いてあったので、ざっくり意訳しました。

郤正は、秘書郎の時に、著名な儒学者である大司農の孟光を訪ねた。その時、孟光は、太子劉璿(セン)が学んでいる古典や性格について、郤正に質問した。

郤正答えて曰く

「朝早くから夜遅くまで怠惰な風はなく、古代の太子の風を備えております。彼が友人や同僚と接するときも一挙一動が仁愛と広い心に満ちています」

孟光曰く、 「もしあなたの言う通りなら、どの家にもそういう人ばかりだろう。そんな世間体の話をしているのではない。今私が聞いているのは、彼の権謀や智略がどうかということだ」

郤正曰く、 「太子の志ですか。志とは皇位を継承することです。父親に尽くし、常に智略は胸のうちに隠し、いざという時に用います。私がどうやって知ることができましょうか?」

孟光は郤正の話が慎重を期しているのを知っているので、続けて

「私は率直な言い方を好むので、人々は私をあざ笑ったり、嫌ったりする。君も私のことを嫌っているから、そういういい方をしたのかと思った。 しかし、今は天下定まっていないので、智謀を先としなければならない世の中だ。智謀は生まれつきのものであるが、努力によってそれを補うことができる。太子は勉強するなら、我々のような学者を真似て、知識をつけなければならない。主君は、人の質問に答えたり、出世を求めるような学問を学ぶべきではない」

郤正は深く孟光の話に賛同した。なんだか孟光さんのエピになってしまいました(笑)。郤正先生、思いっきり聞き手でした。