張嶷 part1 自分の命と引き換えに姜維を救出した漢!!

どうも! 諸葛菜です! 今回は斜陽の蜀にあっては大戦力であった張嶷将軍殿であるっ!

張嶷(生年不詳-254年)

演義では南蛮征伐で祝融夫人にやられて、ふんじばられたりして散々な目にあっています。あまり活躍できなかったことから、脇役の二流武将扱いされているけど、そんなことは無いんだぞっ!

特攻…っ!そして…

それでは、孔明死後の演義での活躍を見てみましょう。 演義第111回。

そう!まさに鮑素が斬り死にしたあの回ですぞっ!

姜維は鄧艾と戦い、段谷と言うところまで追い詰められます。鄧忠、陳泰らの伏勢に囲まれ、姜維自らしんがりを勤め、右に左に切りまわったが、疲労困憊で重囲を突破できない。

そこに現われたのが、僅か数百騎を連れた張嶷将軍。 演義には描写がありませんが、この頃の張嶷の足はずいぶん不自由だったそうですね・・・。

陳泰の重囲をものともせず、姜維を救出するべく突っ込みます! この数百の騎士たちは、おそらく(蜀にはあまりでてこない)屈強の者どもであったはず・・・!(゚Д゚)

 

いつもの妄想

姜維張嶷将軍!?貴殿の足は!?」

張嶷「ふっ・・・騎馬戦なら足など関係なかろう・・・」

姜維「しかし、こんな小勢ではっ!」

張嶷「心配めされるな!諸葛丞相の後を継いだ貴公は、蜀にとってまだまだ必要な漢・・・見殺しにできん!」

こんなやり取りが見たかったぜ・・・っ!

孔明死後の演義では、羅貫中の執筆モチベーションが下がっているので、無理な注文か・・・。

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姜維はこの勢いに乗って重囲を突破。 しかし、張嶷は全身に矢を受けハリネズミ状態に・・・!

張嶷の忠義に報いるため、彼の子孫に爵位を与えました。

この戦いでは張嶷以外にも戦死者が多く、姜維は大将軍の位から降り、後将軍に下げました。

諸葛恪さんとは全然違(略)。

 

正史だと、まさかり野郎の徐質に殺されているんですよね・・・。 あいつの手柄になっているとは・・・ちっ!(`Δ´)

張嶷演義では見せ場は無かったですが、エピソードは満載ですね。

次回は張嶷大活躍のエピソードっす!