鄧艾・鄧忠(トウ艾・トウ忠)の墓 

 

どうもっ!

諸葛菜ですっ!

三国志演義後半の英雄たちの記念碑、お墓、廟を追うこのコーナー。 今回は魏の忠臣、英雄。姜維をボコったり、成都を制圧したり三国志全体の中でも屈指の英雄!

 

劇で使われるトウ艾のお面

トウ艾のお墓は四川省剣閣県から北に10km行った北廟郷孤玉山に位置している。

アクセス等についてはこちらが詳しいです! http://sanguo.china-world.info/ruins27004.htm

 

 

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瓦礫とゴミが・・・片付けろや( ゚д゚)!!

 

鄧艾と鄧忠が、部下の田続に暗殺された曰くつきの場所。墓の周りは土塁に囲まれており、花崗岩でできている。墓碑には『魏征西将軍鄧艾墓』と刻まれていて、墓の側面には『彰順王廟』と書かれている。

※彰順王とは五代十国(907~960年)の前蜀王が天漢元年にトウ艾に追封した称号。

 

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昔、毎年2月になると近隣の住民はトウ艾の墓の前で、演劇をしたり、小さな祭りを開いたと言われている。

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文化大革命の時は、墓穴を暴かれたことがあった。 墓の中には石板によって部屋が2つに仕切られていた。部屋には1つずつ棺桶がおいてあり、長さ3m、幅1.4m、高さ1.8mもある。

墓の作りからしトウ艾父子が眠っていたものであると言われている。

トウ艾の最後については田続如き小物にしてやられてしまい誠に残念。

謀叛疑惑や人望があまりなかったことで、一時名誉を失っていましたが、樊震(はんしん) さんが名誉回復をしてくれたり、お墓を作ってもらったりトウ艾ファンにとってはちょっぴり心が休まるかな・・・?