張弥・許宴 孫権のパシリとして公孫淵を尋ねる 罰ゲームかっ!?
どうもっ!
諸葛菜です。
今回は筋金入りの出落ち武将をご紹介!
久々です。ここまで出落ちを全うしたキャラは・・・
まさに原点回帰と言っていいほどの武将を紹介だ・・・。三国志演義後半の冒頭部分に当たる公孫淵謀反の超冒頭に出てきた武将だったので、つい見落としてしまった・・・。
遼東、襄平は公孫氏の支配下にあってうん十年。しかも、この時の君主は北の将軍公孫淵 。自分の叔父を追い落としてまで、君主となった漢です。
孫権は公孫淵を懐柔するために、許宴、張弥を派遣し、金銀財宝を与え、燕王の称号を与えた。公孫淵は魏の威勢を恐れ、使者の許宴・張弥を斬首。首を曹叡に送り届けた…。
以上っ!
セリフもなんにもないっ! 公孫淵は呉の藩国になりたいと孫権に使者を送ったことがあり、孫権もよしみを結んでおきたいと考えていましたら、張弥・許宴を送るのは不自然な流れではありませんでした。
孫権はもちろん頭にきて、公孫淵を退治しようとしたそうですが、陸遜や弟の陸ボウらに説得され討伐は諦めました。陸遜 呉のイケメン大軍師!最後はもうろく皇帝孫権様と対立…。
では、この二人の死は無駄であったのか・・・?
否っ!
曹叡は、許宴、張弥を斬った功で公孫淵に楽浪公の称号を与えましたが、これを不服として結果的に反乱しました。
魏の国力を多少は削いだことでしょう。 仮に、この反乱に乗じて、蜀・呉が北上してきたら、司馬懿は襄平に釘付けになっていましたし、大国魏に打撃を与えられたのではないかなと。
「許宴・張弥・・・お前たちの帰ってこれる見込みは殆ど無かった…、気の毒だが…しかし許宴…!無駄死にではないぞ!」 人身御供の感がありますが、二人の死は無駄死ではなかった・・・ということでっ!