公孫修 燕王公孫淵の世継にして、亡国の王子

どうも~

諸葛菜です。

なに?燕軍続きで飽きが来た? まあ、こいつで最後なんで、もうちょっと我慢して・・・

燕王公孫淵の世継、公孫修王子だっ!

[caption id="attachment_713" align="aligncenter" width="333"]著作者:mjranum-stock 著作者:mjranum-stock[/caption]

公孫修(生年不詳 - 239年)

祖父:公孫度 父:公孫淵 叔父:公孫晃

活躍:特に無し 親爺と密議をこらしたくらいか・・・。

参考記事:三国志演義後半戦の記念すべきトップバッターは公孫淵! 参考記事:卑衍、楊祚 燕王公孫淵軍のツートップ!! 参考記事:賈範、倫直 燕王公孫淵の暴走を止められず 参考記事:王建、柳甫、衛演 命がけの使いパシリは俺らに任せろ!

公孫淵が燕王を自称。 卑衍、楊祚が司馬懿軍に蹴散らされ、公孫修、公孫淵たちは襄平城に篭城。場内では糧食も尽き、牛馬を殺してどうにか食いつないでいると演義本に書いてあります。

中国語のサイトを見ると、人が人を喰っていたほど凄惨な状況下だったそうです・・・。 兵士たちも、

公孫淵の首をとって司馬懿に城を明け渡そう」

とするに至ります。 物騒極まりない兵士らの精神状態を聞いた公孫淵はすっかり動転し、降服を決意。 呂布の篭城、諸葛誕の篭城しかり。 兵糧攻めを受けた後、戦うことはもちろん、逃げることも降ることもできなくなるのが、敗北パターンのスタンダードな流れ。

公孫修たちもこの路線を一直線。 1回目の降服申請も却下。 2回目は息子の公孫修を質に出そうとしますが、これまたあえなく却下。

降服することもままならなくなった公孫修は親爺と密議をこらします。 「親爺・・・あんたの人徳に人がついてくると思ったのかい?そもそも、司馬懿相手に喧嘩になるとでも思っていたのか?それに、先鋒を卑衍と楊祚にやらせたことからして、親爺の燕王としてやっていく本気度が疑わしい」

密議というか・・・こんな愚痴ばっかりだったんでしょうね。

密議を凝らした挙句、1000人ほどの屈強なもの共を選りすぐり、夜中にこっそりと脱走。

ベターな展開だよ・・・。 公孫淵が心中してやったりと喜ぶとこなんか特にね。 結局、司馬懿たちにとっ捕まって、父子は向かい合って斬首・・・。 烏丸族や呉を使うよう進言している姿とか見たかったなあ・・・。 ゲームには出てこないので新武将で是非作成して欲しい武将です!