諸葛質 孔明の孫 諸葛瞻の子 蜀漢滅亡後、西南夷へ使いに出るっ!?

どうも!

諸葛菜です!

今回はサラブレッドの子孫、諸葛質だっ!ショボショボ諸葛緒の子孫じゃないよw

諸葛質は諸葛瞻の子。諸葛質は三国志には出て来ません。清朝の張澍さんという方(すいません、無知です(_;)の《諸葛忠武侯文集故事卷一 雜記》の中に記載があります。

それによると,

蜀漢滅亡後、魏に投降することを強く拒んだ洮陽王劉恂(リュウシュン)という王がおりました。 絶対に魏へは下りたくないという強いハートを持った王子。 そこで、諸葛瞻の子、諸葛質は南蛮の帥である孟虯と連絡し、劉シュンを南蛮の地、永昌に定住させるよう取り計らいました。

でも、これ・・・「?」となりますよね?

劉シュンは劉禅の6男です。 親父と一緒に洛陽に行って、おやじの爵位を継いでいます。 それなのにどうしてこんなことが起こるのか?

劉ジンくらいですものね、まともなのは…。

諸葛質は実際に存在したのか…?この出来事とは本当にあったのか?

この謎を知っている人はもちろん、妄想も大歓迎!謎だなあ・・・。