王経の母 息子王経とともに散った三国の賢母・・・
どうも!
諸葛菜です!
今回は王経の母。
曹髦決起…これが命とりに
登場回は第114回。
曹髦が司馬昭の嫌がらせにブチギレ。数百の兵とともに立ち向かいますが失敗。殺されてしまいます。曹髦に忠義を尽くした王経は縛り上げられ、王経一家はことごとく市に引き出されてしまいました。
王経が母親にこのことを詫びると、
「人は誰でも死ぬるもの。ただ恐ろしいのは死に場所が得られぬことです。このようなことで命を棄てることができるからは、少しも思い残すことはありません」
王経親子は微笑を浮かべながら首をはねられました…。 これにて演義での出番は終了。
教育熱心な母親であった
王経母ちゃん、なかなか教育熱心というか、息子への進路指導がなかなか厳しいです。
ウィキにありますが、
王経は農民から取り立てられ、許允とともに名士として知られます。中央に呼び出されますが、官を退職。しばらくして、今度は江夏太守に任命されます。王経絶賛昇進中っ!
「全身全霊を持って、職務に取り組みっ!(略」
ところが、在職中、大将軍の曹爽が絹を送り付け、呉の国境で交易させようとしたことがあった。王経は添えられた手紙も開かず、速攻で官を棄て再び帰郷。
「このまま自身が太守を続けるより新たな太守のもとで進めた方が良い局面になると判断した」
「私が太守であることが障害になっている」
後世の元若首相並のセリフを吐き退陣。
よく辞めるなあ…王経。 官での仕事に対してストレス耐性が低いのか、すぐに辞職をしてしまう息子に王経母はブチギレちゃいます。王経母は息子が勝手に職務を放棄したため、その部下の前で棒で50回叩いた。これを聞いた曹爽はそれ以上何も咎めなかったという。棒引っ叩きの刑って言ったら、孔明が五丈原で馬岱をしばいたのと同じじゃあ…?
そりゃあ、そんなおっかないおっ母さん相手だったら、さしもの曹爽も黙るしかないわな。職務を放棄したことを説教したと思ったら、お次は、
「お前は農家の子から太守にまで出世しましたが、
分に過ぎた官位は災いの元です。出仕するのはもうやめておきなさい」
と(^_^;)。 いったいどっちなのよ!? 働け、働くなと言われて頭にきたのか、王経は母親のいうことを聞かず出仕。雍州刺史に抜擢されました。