諸葛瞻様の紀念墓 

どうもっ!

諸葛菜ですっ! 三国志演義では、蜀の最後を飾るために、傅僉が斬死したり、架空武将の蘆遜が命を散らしたり、滅亡寸前にやや小粒の武将が大立ち回りを演じました。

姜維も命を散らしましたが、評価がイマイチということで、やや晩節を汚してしまった部分もあったかもしれません。 さて、

その中でもビッグなキャラが諸葛孔明の息子諸葛瞻です。 227年 諸葛瞻誕生

234年 諸葛亮が出兵。この時、諸葛亮は兄の諸葛瑾に手紙を書いており、その中で「諸葛瞻はすでに8歳になり頭がよく可愛いのですが、ただ少し早熟なだけで将来は大器にはならないでありましょう」諸葛亮が死に、諸葛瞻が官爵を継いだ。

243年 諸葛瞻17歳の時に蜀皇帝劉禅の娘を妻とした。

諸葛瞻の活躍は以前書いたとおりです。 wikiにもサクッと載っていますのでご参考くださいませ。 諸葛瞻 蜀のリーサルウェポン出撃!綿竹関にて鄧艾を防ぐ!

諸葛瞻のお墓は綿竹にあります。 四川省の重要な蜀漢の遺跡の一つ。 成都の武侯祠と少し違いが有り、諸葛一門の三代の忠義を称えるために建てられたもの。 成都の武侯祠には諸葛亮三代(諸葛亮、諸葛瞻と諸葛尚)が一堂に会した像があり、綿竹には双忠祠にも三代の蔵があり、前の殿には諸葛瞻父子、啓聖殿には諸葛亮が祀られています。

 

成都、綿竹の二箇所の祠には身を低くして、粉骨砕身し国に身を捧げた諸葛亮三代を祀っています。 現存している双忠祠は清朝乾隆帝の時代に建造され、その後も20年毎に補修を行い、拡張工事も行われました。

演義では、諸葛瞻が幼いころに父孔明から、「大器にはならない」と言われていませんでした。 wikiを見て初めてしりましたよ^^;

かたや、諸葛瑾の息子の諸葛恪 は、演義でも父親から「家を全うできるものではない」とか、陸遜からも「夜郎自大だ」などとブチブチ言われていましたね。

諸葛瞻の思いもよらない笑いを誘う駄目エピソードでもあれば、もっと好きになれそうですw