司馬昭 最終回 わが生涯に一片の悔い無し!

どうもっ! 諸葛菜ですっ!

司馬昭の続編です。

賈充は姜維を殺してしまえば蜀は落ちたも同然。智勇兼備の人間を選んで暗殺者として差し向けろと提案します。荀勗は、劉禅と黄皓に蝕まれているから、然るべき大将を選んで兵を持って攻め取るべきと主張しました。

結果、蜀討伐の軍が起こるわけですが、賈充ってあまり軍を動かすのを嫌いますよね。 前回も蜀を攻めようとしたら、曹髦をなんとかしてからと、引っ張ったり、後に呉の討伐にも反対します。きっと政治的な事情があったのでしょう。

蜀を攻めることを朝臣たちに伝えた際、前将軍鄧敦(トウトン)が反対したので、此奴を血祭にあげました。半ば生贄に近い形ですが、これを見て他の大臣たちは肝を冷やす…。 さて、蜀攻めには鐘会とトウ艾を抜擢。

いざ、出陣という時に、配下の邵悌より、野心家の鐘会に10万以上の兵士を持たせるのは危険ではないかと指摘されましたが、司馬昭様は賢いお方。全てお見通しです。

「そのくらい、わしはとうに承知しておる」

朝臣たちは蜀を討つことに尻込みしている状態だが、鐘会一人は自ら進んで蜀をうつ計画を立てており、いささかも怯んでいないから。怯みを感じていなければ蜀を破ることが出来る。 一度敗北した者は肝を潰しているので、二度と逆らうことはないし、魏の兵士たちは勝利の後は一刻も早く家に帰りたいと思うはず。

いくら鐘会が謀反を企てようとも、それに加担するものはいないだろう・・・という考えです。 鐘会・トウ艾は蜀を破り、劉禅を降伏させました。 成都を占領したトウ艾は、軍勢を蜀に留めて、兵を養い、軍船を製造し、呉を平定するための軍備を整えると同時に、呉の皇帝孫休を安心させるため劉禅を扶風王に封じるよう主張しました。

この上奏文を見た司馬昭は、トウ艾が蜀を我がものとする魂胆であると疑い、「何事も朝廷の指示に従うよう」監軍の衛カンに親書を持たせ指示をしました。

ところが、朝廷内ではトウ艾が謀反を企んでいるという評判が高まり、司馬昭はますます不安をつのらせました。

鐘会を位につけトウ艾を牽制し、且つ、監軍の衛瓘(衛カン)に両者を見張らせます。 鐘会は姜維に入れ知恵され、トウ艾の上奏文を携えた使者を拉致し、上奏文を無礼な文に書き直して上奏。これを見た司馬昭は、鐘会にトウ艾を捉えるように命じ、自らは曹奐を伴い、軍勢を引き連れて蜀をうち平らげに出発しました。

この時、邵悌が自らご出陣遊ばれるのはいかがなものか?と、諌めていますが、誰かを差し向ければ、その人を疑うことになるので、自ら長安まで出陣しました。

「鐘会の軍勢は、トウ艾の六倍もあることゆえ、彼に命じてトウ艾を捕らえさせればことたりましょう。殿が直々にご出馬なされる要はないと存じますが」

司馬昭は笑って、トウ艾のためではなく、鐘会の謀反を牽制するために出陣するのであることを述べました。

邵悌も笑って、 「それがしは、殿がお忘れではないかと思って、お伺いしたのでござります。そうとあらば、固く秘して、決して外にはおもらしになりませぬよう」

トウ艾姜維、鐘会の2英雄+1は全員死亡。

姜維 最終章 トウ艾をシバイて鐘会とともに爆ぜる

蜀は無事に魏となりました。平定後は、一度は賄賂で命を長らえた黄皓を処刑し、劉禅をいびったりと大忙しの司馬昭

司馬昭は、兄の司馬師父司馬懿に王を諡(おくりな)しました。 世継ぎを決めるにあたっては、「天下は兄者(司馬師)の者だ」と言って、実子であるが兄の跡継ぎであった司馬攸を嗣子にしようとしますが、兄をさしおいて弟を取るのは不吉であると重臣たちから諌められてしまいました。

結局後を継いだのは司馬炎

蜀を平定し、跡継ぎを決めた司馬昭。 やることはすべてやったと思ったら、案の定、急に口が聞けなくなり体調が悪化。 今際の際に、太子である司馬炎を指さして死去。

raooo

やることはやりました。悔いはないでしょうな。。。

以上で、司馬昭の物語は終了。