諸葛尚 「あれが魏軍だよ…パパ…」斜陽の蜀に殉じた名軍師諸葛亮孔明の孫!
どうも!
諸葛菜です。
今回は諸葛亮の孫というサラブレッド中のサラブレッド、若干18歳で蜀に殉じた漢諸葛尚ですっ!
演義での登場は第117回。 トウ艾の軍勢が陰平の山々を乗り越え、馬バクの守る城を降伏させ、どんどん蜀の首都成都へと迫っていました。蜀主劉禅は、郤正先生の意見を採用し、病と言って引きこもっていた諸葛亮の息子諸葛瞻を召し出しました。
「先帝陛下のご恩義を思って、朕の命を救ってくれ」
と。 諸葛瞻も大いに張り切り、出陣の準備を開始。
「誰か先鋒となるものはおらぬかあ!?」
諸葛瞻が呼びかければ、言下に進みでたのが若年の大将、
「父上が大権をおとりになったからは、それがし、先鋒をいたしとう存じます!!」
これぞ諸葛瞻の息子諸葛尚!
なかなか良い登場の仕方ですぞ! 諸葛尚はこの時19歳。数々の兵書を読み、武芸百般に通じていました。
姜維は漢中あたりで鐘会軍と戦っているし、名軍師、名丞相諸葛亮の子孫である諸葛瞻、諸葛尚がまさに蜀漢最後の砦。諸葛瞻は成都の軍勢七万を率いて、トウ艾軍を迎撃すべく、綿竹関へと向かいました。
馬バクの城を降したときは、トウ艾の兵は3,4千人でした。後続部隊が山を越えて来ないうちに倒すべきですし、グズグズしていると姜維が撃ち漏らした牽弘やら王頎(オウキ)共雑魚軍団が大挙して押し寄せてくるはず・・・。
綿竹関の外へ出て、陣を布く両陣営。
「あれが魏軍だよ・・・パパ」
父諸葛瞻を見向きもせずに、敵陣を見つめていた諸葛尚はつぶやいた。
「意外と小勢だな…メテオ(連弩)で一瞬にして殲滅させてしまえばよかろう」
「それじゃあ僕の気がすまないんだ。・・・おじいちゃんはあの魏軍に殺されたんだよっ!」
諸葛尚たちは八卦の陣を布いて、魏軍と対陣。両軍衝突の際、蜀軍は諸葛孔明の木像を出し、本物に見立てて攻撃を開始。これを見たトウ艾軍のトウ忠、師纂は全身から脂汗を流し退却をはじめました。諸葛尚はこれを追い討ちし、初戦を大勝利で飾りました。
トウ艾に叱られて、戦わずに逃げ帰ってきたら、必ず打ち首にすると言われたトウ忠、師纂 は再び軍勢を率いて蜀軍に戦を仕掛けました。 トウ忠、師纂は再び闘いを挑み、諸葛尚に撃ちかかります。
「ほう…確か姜伯約さんを追い詰めた…」
すかさず真一文字に突きかかるトウ忠。
「トウ忠かっッッッ!?」
連撃をすべて防ぎきった諸葛尚。
「武侯の孫だからって遠慮することはないんだぜ…トウ忠さん…」
諸葛尚は次々と槍を繰り出し、トウ忠を追い詰め、そこへ師纂が駆けつけ加勢。
「若君!助太刀いたす!」
師纂も撃ちかかるが、諸葛尚はものともしません。
「笑止なっ!二人がかりで勝てるとでも思ったのか・・・!」
諸葛尚の槍の舞にはさしもの両名もただただ舌を巻くばかり。 兵士らも押され始め、諸葛尚らは更に駆け散らし、追い打ちをかけました。
しかし、牽弘やら王キやらが大軍を率いて到着したので、形勢は逆転。 綿竹関はひしひしと魏軍に取り囲まれてしまいました。
諸葛尚らは彭和に書面を持たせて呉へ救援を依頼しましたが、援軍は一向に来ません。 いつまでも立て篭もっているわけにはいかないので、諸葛瞻は軍勢を率いて打って出ました。 諸葛尚は、綿竹関を守備。
しかし・・・
ち、父上・・・!?(´□`。)
馬にも矢が・・・。 諸葛瞻もトウ艾の伏勢にやられてしまい、奮闘するも、自ら刃を取って自刃。 乱軍の中で果てました…。
「ええ~い!止めだていたすなっ!( ゚д゚)」
これを見た諸葛尚は怒り心頭して、鎧をつけるのももどかしく馬に飛び乗り突撃態勢。
「若将軍、短期はなりませぬぞっ!!!!」
慌てて止める側近の張遵。
「それがしは父祖代々、国の御恩を受けてきたものだ。父上が敵中に亡くなられた上は、それがし一人生き残ったとて仕方ない!!」
牽弘、王キらのモブ武将率いる大軍の真っ只中に斬り込みをかけました。
「群れをなさねば何も出来ぬ雑魚どもに、孤高を持す一匹狼の力、たっぷりと見せてくれるわ!!」
鳳翼天翔~!
敵中深く入り、無双発動!少しでも…少しでも魏の戦力を削るんだあ~!!
師纂、トウ忠!出会え~!!!( ゚д゚)
討ち取った将達は多数。無双乱舞も、矢を胸に受けてしまった諸葛尚。若き命がここに散りました…。 綿竹関にもっと立て籠もっていたら… 呉の援軍を待っていたら… 羅憲と協力していたら…
歴史でIFは禁句ですが、そう思ってしまいまする。