姜維 part1 孔明イズムを受け継いだ天水の麒麟児!!
どうも!
やっと姜維の出番です!
ずっと書きたかったけど、いくつのパートになるのか読めないので、今まで大半の記事を、「出落ち武将で」お茶を濁していました。
主役中の主役と言ってよい姜維伯約。
彼が蜀に下っていなかったら、羅貫中は三国志演義後半を書くことはできなかったはずっ!
姜維(202-264年)
手下:甯随、鮑素、王含、蒋斌、胡済、蒋舒、傅僉
後世の姜維の評価は賛否両論
ウィキを見ると、裴松之が注で引用する東晋の孫盛の『雑記』によれば、姜維の母親は、姜維に魏に戻るよう手紙を書いたが、姜維は蜀で栄達するという大望があるため戻らないと返事したとある。 大望を抱き、「鶏口となるも、牛後となるなかれ」的な姜維の言動です。
また、孫盛たら言う輩は、こんなこともほざいていました。
「姜維は防衛の任務に就きながら、敵を招き寄せ、領土を失った。蜀滅亡後は、幸運にも鍾会の厚情を受けながら、鍾会を裏切る事を考え、道理に外れた成功を得ようと望んだ。なんと愚かな事だろうか」
私は姜維が忠臣、孔明イズムにひたすらこだわった人物だと思っているので、ネガティブな見解は片隅に追いやりますが、何か?←開き直り('-^*)/
郤正先生、裴松之は姜維を高評価。孫盛は姜維を批判。蜀民を疲弊させたのは確かですが、吉川英治先生が、後世の孔明に対する評価をあとがきで書かれていたように、「何も知らない暖衣飽食した人たちが、孔明を是々非々論じたところで云々」とあるように、姜維についても、これを当てはめても良いのではないかと思います。
結果はどうあれ、姜維は姜維なりに頑張った!お疲れ様っ!てことで。
魏の知勇兼備の美少年、蜀に降る!
・・・まだまだ続きますぞ(汗)! 最初は魏に属していた姜維。天水太守馬遵はじめ、その取り巻きどもに足を引っ張られながらも、蜀の諸葛亮孔明を何度も退けた智勇兼備の美少年。
結局、孔明の懐柔により蜀に降ります。
横山三国志では、何かやってくれそうな風貌を持った夏侯楙を取り逃がしたものの、姜維を手中に収めたことで、諸葛亮は、
「マシュマロ坊やの夏侯楙ごときは鴨を放しておくようなものじゃが、今、伯約を得たのは、おおとりを得たが如きもの」
と、大喜び。
彼が蜀に来てくれれば、自分の死後も蜀を保つことが出来る・・・とこのときも思ったのではないでしょうか。
魏の司馬懿と戦う中、激しく消耗していったのは国力よりも、諸葛亮孔明の体そのものでした。姜維の働き振りを見ていた諸葛亮は、彼にニュータイプの片鱗を見ることがしばしば。
孔明が陣没する間際、自らの兵法24編他、連弩の法を姜維に授けます。
※このシーンは何度見ても泣ける・・・・°・(ノД`)・°・!! 孔明の遺命どおり、姜維を後詰とし、魏の追撃軍を撃破。さしもの司馬懿もこれには仰天、必死こいて遁走。自分の頭をなでながら、夏侯覇、夏侯恵に「わしの首はついておるか」と確認。
姜維の武力、プレッシャーはすごいものですな。
魏延大先輩の成敗に一役
馬岱、費褘、楊儀らとともに、この痴れ者を殺処分しようとします。 費褘や馬岱がだましだまし魏延を地獄へと誘導。
調子に乗った魏延は楊儀、姜維らの退路を遮断。桟道を焼き払われてしまいます。 姜維が、
「ここにはサ山と申す間道があり、非常に険しいところではござりますが、桟道の裏に抜けることができまする」
朝廷でも魏延の謀反が知れ渡り、楊儀・姜維を中心にこれを退ける策を練ります。 姜維たちは先回りして南鄭に到着し、魏延・馬岱を迎え撃つ。 姜維も豪傑ですが、いかんせん若年。手練手管の剛将魏延には警戒しています。
「魏延は無双の剛の者であり、無勢とは申せ、なかなか退けるのは難しゅうござりますが」
ちょっぴりビビり気味。 孔明が残した錦の袋の指示に従い、魏延退治を試みます。
「逆賊魏延、いまさら背くとは丞相のご恩をわすれたのか!」
と、姜維が叫べば、
「伯約、貴様では話にならぬ┐( ̄ヘ ̄)┌」
と小僧扱いされますが、無事、魏延を誅することに成功。
費褘、蒋エン、王平、馬忠、呉懿、馬岱らが健在にもかかわらず、魏延如きにここまで手間を取られるとは・・・。蜀の人材欠乏症は、このあたりからもひしひしと感じられます。
張飛、関羽、趙雲が生きていたら、さっくり殺っちまうんですがね。
というわけで、姜維編スタートですっ!